大人になるにつれて「猛烈に欲しいモノ」が無くなっていく寂しさと生産の事

 

あれが欲しくて欲しくてたまらない

 

もう寝ても覚めてもその事ばかり。とにかく欲しい。あー、欲しい。カタログや雑誌で紹介してるページを何回も見て、手に入ったらああしようこうしようという妄想を膨らませる

ゲームボーイだったり64だったりデジヴァイスだったりMDプレイヤーだったりカードだったりエアガンだったり携帯だったり電子ドラムだったり色々あったけど、何はともあれそういう要求が自分の中では良くあった

しかし当時、高価なそれらは中々手に入らず、誕生日やクリスマスといったイベント時にねだったり、学校で良い成績を取ることでアピールしたりして何とか手に入れていた。もちろん散々思いを馳せたのに手に入らなかった物もたくさんある

高校生になり、こっそりバイトを始めた(進学校でバイト禁止だった)

それなりに自分の欲しいモノを買う事が出来るようになってきた

ゲームや漫画くらいならすぐに手に入れたし、当時やっていたドラムの周辺機器もすぐに買った(残念ながら本体は手に入れれなかったが)

大学生になり、バイトで貰える金額が増えて、社会人になってもっと増えて、ブログという副業を得てさらに増えた

小学生の自分が見たら大興奮な状態である

昔「猛烈に欲しかった物」は、今「全て」手に入る

しかし、そうなった今、僕には「猛烈に欲しい物」が無いのだ

何と言う事だ。小中学校の時、たくさんお金があればアレもコレも買えて、もう最高にハッピーなのにと思っていたのに、全然欲しいモノが見当たらない

もちろん何も欲しいモノが無いというわけでは無い。

普通に「欲しいな」と思う物はあるが、僕は買い物に対するハードルがそこそこ高い

それを手に入れた未来を想像して役に立ちそうと思うか、とか「っていうか経費でいける」「元が取れる」みたいな状況にならないと手が出ない

そういった利害のようなものを考えてしまい、子供の頃に猛烈に感じていた利害とかそういうのを一切超越した「アレが欲しい!」という感情がまるで無いのだ

消費よりも生産?

1つ気付いたのだが、小学生の自分にとっては「生産」なんて物はほぼ眼中になく、余暇の過ごし方は「消費」が基本だった

しかし、今の自分は「生産」がメインである。具体的に言うならこれらのブログだってそうだ。ブログを通して「生産する側」「発信する側」の楽しさを知った。そして、これにはお金があんまりかからない

ジャンルによってはがっつりお金が必要だったりするが、こと「文章を書くこと」「ブログ」に関してはほとんどお金が要らないのだ。強いて言うなら快適に書くために新しいパソコンにしたり、椅子や机を買ったりしたくらいである

しかし、生産活動は楽しいもので、当時のゲームをやるのと同じくらい、もしかしたらそれ以上の物を感じている

もしかしたら、生産に片寄ったせいで「消費」の楽しさが薄れてしまっているのかな、って思った

これが悪い事かと言われればそんな事は無い

生産の楽しさは無限だし、何よりもお金がかからないから際限も無い。消費と違ってお金による壁は無く、強いて言うなら時間の壁だけである。っていうかお金に関してはなんなら増える。神かよ

当時のような「あれが欲しい~~~!」という熱意のようなものが無いのは寂しいが、今の状態はこれはこれで悪くないのかなと思った

そんな感じ!

おわりっ

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